客観的であれ ロジカルシンキングに客観視を活かす方法

ロジカルシンキング

客観的であれ。
大人になるにつれ、あるいは社会人になってからというもの。客観的であることの大切さに気付く人も多いのではないでしょうか?
客観的な視点を持たない人はよく、自分勝手だったり、物分かりが悪かったり。といった見られ方をされがちです。

そこで、客観的にとらえよう。考えよう。と思う人も多いでしょう。
しかし、みなさんは客観的とはどういった視点、考え方なのかを理解していますでしょうか?
客観的であるという状態はとても抽象的で、これだ!という状態のことを言えません。

本記事では、客観的という概念をロジカルシンキングに活用した場合のメリットや方法をテーマに考えていこうと思います。

・客観的ってよくわからない。つまりどう言うこと?
・客観的だとどんなメリットがあるの?
・客観的に考えるのはどうすればいいの?

このような悩みを解決し、客観的な思考の面白さ。大切さを共有して行きます。

客観的とは

まずは簡単に「客観的」の意味について触れておきましょう。
「客観的」の対義語は「主観的」ですね。
平たく言うと、主観的が「自分から見た視点、捉え方」なのに対して、客観的は「他者から見た視点、捉え方」といったところでしょう。

言葉としては理解できても、おそらく他者って誰やねん。ってなりますよね。
正直な話、これに正解はありません。
ただ、客観的に考える時に最も一般的な対象は「大多数」という枠組みだと思います。

私は果物の中で桃が大好きなのですが、初めてスーパーでその価格を目にした時驚きました。
一個300円もするのかと驚き、誰が買うんだこんなもの!と思った程です。
300円の桃を見て「なんて高いんだ!」と思ったのは私の主観ですが、他の大多数の一般客からしたら「定価ならこれくらいの金額が妥当かな」くらいの認識なのかな。と想像します。これが客観的に考えた例です。

つまり、客観的である。の最も基本的な考え方は、自分の持つ「主観」とは別に、大多数の他者が持つ「主観」に対して思いを馳せること。だと考えて良いでしょう。
しかし、対象がどんな時も「大多数の他者」である必要は全くありません。
むしろ、「自分の意見に賛成する人/反対する人の主観」「やる気のある人/ない人の主観」「できている人/できていない人の主観」ありとあらゆる人の思い、捉え方に思いを馳せることができる人の方が、客観的に考える能力が高いと言えるでしょう。

客観視をロジカルシンキングに活かすメリット

ここでは、客観的な視点、捉え方を「客観視」と呼ぶこととします。
客観視を身につけると、あらゆるメリットがあると言われております。
いくつか紹介します
・相手の立場に立って気持ちや物事を考えられるため、人間関係の構築が円滑に行える
・主観に依存した怒りや悲しみに対して、ブレーキとなる見解を持つことができ、感情をコントロールできる
・他者の意見を素直に受け取りやすくなり、より広い視野、価値観の獲得に繋がる

何故これだけ色々なメリットがあるかというと、客観視は意識しないと中々身に付かないスキルだからです。
対する主観に関しては、何も意識せずとも私達は持っているわけですから、言ってしまえば元々とてもバランスの悪い状態だったわけです。主観的であることのデメリットの全てを背負っていたようなものです。
そこに客観視というスキルを身につけるだけでバランスが取れてデメリットを中和した結果がメリットとして現れます。理想的な話をすれば必要に応じてお互いを出し入れすることによってメリットばかりを享受することも夢ではないでしょう。

とはいえ、客観視のあらゆる恩恵を受けるための考え方となると話が抽象的なものになり、わかりにくいかと思いますので、今回はロジカルシンキングに活用する場合のメリットに焦点を当てて考えていこうと思います。

思い込みから抜け出せる

認知バイアスというものを聞いたことはありますでしょうか?
認知バイアスを簡単に説明すると、偏った思い込みによって不条理な選択をしてしまう現象のことです。
(私は専門外ですが、心理学の分野らしいです)

例えば、ダイエットを始めようと思った場合、
炭水化物抜きダイエットは炭水化物さえ抜けば他の食事は気にしないでもいい。
ダイエットは食事制限が重要で、運動は最低限で良い。
このような情報を拾って、「炭水化物だけ減らせばダイエットできるね」といった具合に自分の都合の良い情報だけを集めてしまったりしませんか?
このように自分が正しい、そうしたいと感じたことに対して、それを支持する情報ばかりを集めてしまうことを「確証バイアス」と言います。

下記は一例ですが、この他にも様々な認知バイアスが存在します。
・正常バイアス:自分に都合の悪い情報を無視してしまう。
・自己奉仕バイアス:上手くいったのは自分のおかげ、失敗したのは周りのせい。と思ってしまう。
・偽の合意効果:自分の考えが一般大衆と同じと思い込んでしまう。
・生存バイアス:上手くいった者だけを評価し、失敗したものを無視してしまう。

このような認知バイアスは、誰もが持っており、この存在に気付かないままでは誤った考え方を「正しい」と思い込んでしまうのです。
さらに言えば、この存在は認識してもなお、容易に逃れることはできません。

ロジカルシンキングにおいて、思い込みは天敵です。
きちんと挑む課題を明確にして、斬新な仮説を立て、どれだけ根拠を集めたとしても、思い込みは論理の飛躍を起こします。

客観視は、この思い込みに対してとても有効な対策になります。
認知バイアスとはバリバリの主観によるものですから、自分の意見とは違う意見があるかもしれない。という考え方によって、思い込みのカセを外す一歩に繋がります。

納得感のある結論を導き出せる

ロジカルシンキングにおける働きの一つ「わかりやすく伝える」ための考え方として、客観的事実を扱うことが重要です。
客観的事実とは、誰が見ても同じに見える。明確な事実のことです。
「300円の桃が高い」というのは私の個人的な主観でしたが、「桃が300円で売られている」というのは客観的事実です。
何が客観的事実で、何がそうでないかをしっかり認識することが、ロジカルシンキングではとても重要になります。

私が「桃が300円もするのは高い!桃のアイスの方が美味しいし、栄養だって野菜食っとけば事足りるのに、もっと安く売るべきだ!」と言ったところで、桃のアイスの方が美味しいのも私の主観ですし、野菜食っとけば事足りるのかどうかも、根拠がなければただの主観ですね。
このような論では様々な角度から反論が飛んでくること間違いなしです。

客観的事実を元に話すのであれば、
「この店の桃は300円だけど、隣町のスーパーでは200円で売っている。安い桃を買いたければ隣町のスーパーに行くといい」
300円の桃。単体では高いか安いかは、客観的事実とは言い難いですが、比較対象を持ってこれば、それと比べて高いかどうかは客観的事実となり得ます。

客観的事実を扱えれば、その部分に関しては反論の余地がほぼなくなります。
決して論破することが目的ではありませんが、納得感のある論には客観的事実は欠かせません。

自分の論には客観的事実があるかどうか、これを考えるには主観と客観を正しく認識する必要があります。
もっと言えば、自分の主観を一度排除することで、納得感のある論が生み出せます。
そのためには客観視が必要なのです。

客観視をロジカルシンキングに活かす方法

客観視を使いこなすことで、思い込みから抜け出し、客観的事実を元に納得感のある結論が導き出せることをお伝えしました。
さて、客観視を習得する方法ですが、私のオススメは「自分の中にもう一人の自分を作り出すこと」です。
何なら一人と言わず何人でも構いません。自分の中に様々な価値観を飼い慣らすことができれば、より強力な客観視となり得ます。

一番わかりやすいのは、何か怒れるようなこと、あるいは悩んでしまうようなこと、傷付くことがあった時に、人は主観に依存しがちです。
他の人が同じ立場でも誰しもが同じように怒るだろうか。誰しもが同じように悩み傷付くだろうか。あるいは、誤解してないか、邪推してないか(悪い意味にひがんで捉えてないか)。

例えば
「そんなに食べて大丈夫?また太るよ?」
と言われて、ムカっとくる人がいるかもしれません。「太ってんだから自重しろよ」みたいな邪推をしてしまう人もいるのではないでしょうか?
こういったムカッとした時に、
「相手は本当に心配してくれているのかもしれないな」
「嫌われることを覚悟して言ってくれているかもしれないよ」
「例え本当に太ってることをいじられているのだとしても怒るようなことではないのでは?」
このように、自分のムカッとしたことに対して他の人ならこう思うかもしれない。という可能性に思いを馳せるのです。それを最初は、自分の中の別の自分にさせると、抵抗が少ないはずです。(天使と悪魔みたいな)

もちろん上記のように良い意味でばかり受け取ろうとする必要はありませんが、もう一人の自分が作れるようになると、思い込みを抜け出したり、客観と主観を切り分けたりできる他に、感情にブレーキを持たせる。という客観視のメリットも受けられるので、オススメです。

もう一人の自分の話をするために、ムカッとくる時の例を出しましたが、思い込みを抜け出したり、主観と客観を切り分けられているかについては、何かを提案する時なんかにじっくり考えてみると良いでしょう。

あなたの職場にも「これやる意味あるのかな?」という、謎の手間をかけてやる仕事があるのではないでしょうか?もしあなたがやる気に満ちた社員なら、この作業は意味がないのでやめましょう。と言えるかもしれません。
こういった意見を言えるのは大変良いこと。だと私は思いますが、思い込みに陥ったりしていると、的外れなことを言ってしまうかもしれませんし、客観的事実がないと納得してもらえない(受け入れてもらえない)かもしれません。

あなたが必要ない。やめた方が良い。と思ったことに対して、もう一人の自分に反論させましょう。
多少強引でも良いので、自分とは逆の意見について考えてみてください。自分は到底納得できなくても、誰かしらはそう思っていてもおかしくないこと。その可能性が見えたとしたら客観視ができています。
また、解釈の仕方次第で意見が変わる部分に関しては、必然的に客観的事実ではない。ということがわかります。
「桃300円は高い」というのが私自身の確固たる意見だとしても、「桃300円は安い」という人は存在しないかと問われると、そうとは言えません。

まずはクールに、反射的に主観を発動させずに、「そう熱くなるなよ。もしかしたら〇〇かもしれないだろ」という自分を内に秘めるのです。
これが冗談だとは言いませんが、人によってはこの方法が合う合わない。があるかと思いますので、「自分の意見とは別の意見に思いを馳せる」ということは是非とも実践いただきたいと思います。

客観視の実践例

最後に、私が最近客観視を使用した例をお話しします。
皆さんはふるさと納税をご存知でしょうか?ざっくり言うと、働いて納税しているお金を他の自治体に寄付すると返礼品として様々な品物を受け取れる制度です。働いている人は全員やった方がいい制度ですので、調べてみてください。

私の友人夫婦は共働きで、旦那の方がふるさと納税を利用してイクラを受け取っていたそうです。
彼が言うには、「嫁さんがイクラ食べないから、全部自分で食べられるんだよね」とのこと。
こうやって聞くと、ふるさと納税の特典を独り占めしている意地悪な旦那。嫁さんがかわいそう。といったように受け取られがちです。私も一瞬そう思いました。

しかし、違う可能性もあるかもしれないと考えると、例えば次のような考え方ができます。
共働きならお互いにふるさと納税ができるのだから、嫁さんも自分の枠を自分のために使うことができる。むしろ、旦那がお互いのためになるものを選んでしまったら、嫁さんは自分のためのものを選びにくくなるかもしれない。
このように自分勝手な振る舞いを悪だと決めつけるのではなく、お互いに自由でもいいんだね。と前向きに捉えることもできるのです。(彼の本心がどうだったかはわかりませんが、私はそう判断します)

いかがでしたでしょうか?
客観視によって、新たな価値観に気付くことはとても楽しいことです。
あらゆる思い込みから脱出し、より大きな可能性の世界へ足を踏み入れていただければ、考えることの楽しさがより体感できると思います。

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